「自然農法わら一本の革命」の読者に会う
自分がインプットしているものの「気」のようなものは、自分の周囲に伝播し、新しい人や材料を引き寄せるんだなと最近よく感じる。
先日、韓国に来て初めて福岡正信氏の自然農法の話になり、共感モードになったのがきっかけで、改めて今「自然農法わら一本の革命」(福岡正信著)を読んでいる。
そんな中、また別のワークショップで自然農法実践者の方もこのフクオカを読んで自然農を25年続けているという話をきき、また共感+「引き寄せ」を実感。
韓国にも農業=3Kという空気があり、「“成功”する人が選ぶ職業」の例にはあげられない。
(この場合の“成功する、成功した”とは普通、成功=高級車+高層マンション+ホワイトカラー。おじさまたちの成功論はこのセットを基に語られ、若者を鼓舞する基本材料らしい)
この本の根底にあるような「農や自然を敬う生き方」を1から説明しようとすると、ぐっと根気がいるし、それを実践しようとなると、さらに多くの気力を要する。
(もちろん日本でもそうだけど)
人間は神様の愛っていうか、自然の偉大さを知るがために苦闘しているにすぎないんだと思います。ですから、百姓が仕事をするという場合自然に仕えてさえおればいいんです。
農業」っていうのは、「聖業」だと言っていた。
農業は神のそば仕えであって、神に奉仕する役だから、聖業だという意味だというんですよね。(「自然農法わら一本の革命」(P135)
だよね。泥臭い生き方は原始的でかっこいい。
一冊の本を読んだか読んでないかだけの話だったけど、国や生きてきたプロセスなどが違っても、同じベクトルを持つ人がいるというのは、心強くて、言葉が通じる安心感とはまた別の安心感があるなあと思う。